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LEDが光源になるまで

 
 1907年にイギリスの科学者ラウンド(H.J.Round)がSiC(炭素ケイ素結晶)に電圧を加えた時に発光することを発見したのが、半導体による発光現象の最初の発見と言われているんだ。

 そして、その後ソ連の科学者ローセフ(O.V.Losev)は、ラジオ受信機に使われているダイオードに電流が流れるときに、光を発することに気がついたんだ。そして1924〜1941年にかけて、自ら開発したデバイスを使った研究を行い、ロシア・ドイツ・イギリスの佳作雑誌に論文を送ったんだけど、彼の功績は認められないまま、第二次世界大戦中の1942年にドイツ軍によるレニングラード包囲線で死亡してしまうんだ。彼の功績は後に認められ、イギリスの科学雑誌「Nature Photonics」は、LED発明者はローセフだと認めているんだよ。

 そして、1962年にアメリカのニック・ホロニアック・ジュニア(Nick Holonyak,Jr.)が赤色LEDの試作に成功して、LEDの父と呼ばれることになるんだ。ホロニアックは、イリノイ大学の博士課程で、ノーベル物理学賞を2回受賞したJ・バーティンの指導を受けたことが、その後の業績に大きく影響を与えたと考えられているんだ。

 博士号を取得したホロニアックは、軍役を挟んでゼネラル・エレクトリックの研究所で働くようになったんだけど、1960年に半導体レーザーの実験に成功したんだ。その時に、半導体が赤色の光を発するLEDになることを発見して、歴史に名を残すことになったんだ。ところが、彼の試作した赤色LEDは発光効率が0.01%に過ぎず、通常の100分の1にも満たない明るさしかなかったんだよ。

 この問題を解決して、高輝度の赤色LEDを開発したのは日本人科学者の西沢潤一だったんだよ。西沢博士は、高輝度の緑色LEDの開発にも成功して、日本人で初めてエジソンメダルを受賞しただけでなく、その功績を認められて、米国電気電子学会(IEEE)が西澤博士の名前を冠したJun-ichi Nishizawa Medalを設けて、電子デバイスとその材料科学の分野で顕著な貢献をした個人・団体を懸賞しているんだよ。

 このようにして、赤色LEDと緑色LEDは実用化されて、市場に受け入れられていったんだけど、光の三原色に欠けている青色LEDの開発が待たれたんだ。

LED開発物語

 知っている人も多いと思うけど、この青色LEDを開発したのが、中村修二なんだよ。でも、実際の基礎技術の大部分は赤崎勇と天野浩が研究を行って、中村は量産技術を確立したというのが、一般的な認識となっているんだよ。青色LEDが量産されるようになったことで、LEDが白い光を発することができるようになって、LED照明や液晶テレビのバックライト、その他諸々の製品に使用することができるようになって、広く実用化されるようになったんだ。

 また、中村は青色LED訴訟を起こした人としても有名で、職務上で発明した特許を巡って元勤務先の日亜化学工業を提訴して、特許の原告への帰属権確認ないし譲渡価格を巡って係争したんだ。最終的にこの発明の対価は、中村の請求通りの200億円と判決がでたことでも有名になったんだ。

 これで、LEDによる照明の道が開けたので、各社競って様々な光源がLED化されているのが現在の状況なんだよ。

LEDの可能性

 代表的な物だけ上げても、携帯や懐中電灯、LED電球、非常口や避難経路を示す誘導灯、自動車の車内灯、信号機、高所照明などで使われ始めていて、変わった所では、美術品・伝統工芸品の照明や、イカ漁などの漁火、植物育成用ライト、冷蔵庫内の照明など多岐に渡って使用されている次世代の光源なんだよ。